中国史偉人ランキング(ネタ注意)

※ミサカさんのブログで思いついただけでぶっちゃけネタです。もし良ければ最後までお付き合いください><

 

1位・藺相如

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 一位は、趙の恵文王に使えた藺相如(りんしょうじょ)です。この人物について軽く説明すると、恵文王の家臣になる前は趙の宦官謬賢(びゅうけん)の食客でした。ある時、趙の持つ宝「和氏の璧(かしのへき)」と一五城を交換しようと秦から誘いが有りました。当時の秦は非常に強大で、和氏の璧を渡しても一五城を渡さない可能性も高く断ることも出来ない立場でした。困った恵文王に謬賢は「私の食客に使者に適任の者が居ります。」と藺相如を推薦します。藺相如は恵文王に会うと「誘いを断ることは出来ませんが、何かあった時の非は秦にあるようにします。そして、もし壁を渡して一五城を渡さない場合は壁を全うして帰ります(完璧の語源)。」と言います。そして藺相如は秦へ向かい時の秦王昭襄王に壁を渡します。しかし、昭襄王は壁を受け取るも全く一五城を渡そうとする気配も見せないため、藺相如は昭襄王から壁を取り返し「趙では疑う意見が多かったが、趙王様は『簡素な服の者(=庶民)の間ですら欺くのを恥とするのに、ましてや国とで欺くなど』と大国秦に敬意を払い、5日間身を清め和氏の璧を渡された。この趙王様の信義に対し、秦王様は余りにも非礼で粗雑な扱い。もはや璧も自分の頭もこの柱で叩き割ってくれる」と言い、壁を割ろうとします。すると驚いた昭襄王は地図を持ってこさせ城の話をします。しかし、藺相如はそれが嘘であると見抜き、従者の1人である呂不韋に壁を持ち帰らせます。これにより、趙の名誉を一切傷つけず、壁を守り抜いた藺相如は知勇兼備の忠臣として後世に語り継がれることになりました。僕は強大国秦の王に一歩も引かない勇気と秦の群臣を言い負かす知に惹かれ一位に選びました。

2位・伍子胥

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二位は、春秋時代の呉に仕えた名将、伍子胥(ごししょ)です。彼は楚の生まれなのですが、楚の平王と奸臣費無忌(ひむき)に計られ父と兄を処刑されます。その出来事から彼の人生は復讐の人生となります。そして、復讐の為に呉に行き、太子の光に野心があると見抜き光をサポートし呉王にまで押し上げます。そして、天才兵法家である孫武を将軍とし見事楚を打ち破った。しかし、呉越の戦いで呉王闔閭は亡くなりその子である夫差が越への復讐を誓い王位を継承しました。その夫差というのが厄介で、なんと越を討った後は傲慢になり、越を討ったにも関わらず越王勾践の首を刎ねず中原を目指し侵攻しました。伍子胥は、勾践は危険であること、范蠡文種らの有能な家臣の元で呉への復讐の準備をしていることを諫言しますが、聞き入れられずとうとう邪魔だということで伍子胥を殺してしまいます。その結果、越は呉を討ち呉王夫差は討ち取られ呉は滅びてしまいます。この伍子胥という人物は激情の人で、復讐の為に呉を盛り上げ、呉王闔閭に対する感謝の念から暗愚な夫差に最後まで諫言を続けました。その激情さに心を打たれたので二位に選びました。

3位・袁崇煥

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三位は、意外と知られていませんが諸葛亮に擬えられる程の名将で、明王朝最後の皇帝である崇禎帝に仕えた袁崇煥(えんすうかん)です。彼は、中国史上初めて砲撃戦をメインとした戦いで大勝を収めた人物です。彼は清との国境付近の防衛の薄さに危機感を覚え、国境付近の警備を強めるよう上策します。そして彼は清との国境付近の防衛に当たるようになります。彼はまず群臣の反対を押し切って西洋の大砲を輸入、そして堅牢な要塞を築き防衛の拠点とします。その後1626年に清のヌルハチが13万の大軍で攻めてきます。が、なんと袁崇煥は1万程度の軍でこれを退けこれが原因とも言われますが清の初代皇帝ヌルハチが死去します。そして清はこの袁崇煥という男が一筋縄ではいかない事を知ります。ここで清がとった作戦は離間の計と呼ばれる計略で、王に将軍に対する猜疑心を植え付けるものです。清は崇禎帝の近辺に袁崇煥が謀反を企てているという噂をたてた為、猜疑心の強い崇禎帝はなんと袁崇煥凌遅刑(反逆者等に課せられる最も重い刑)にしてしまいます。これにより明の滅亡が決定したとも言われます。袁崇煥は新しい兵器を積極的に取り入れる適応力、兵に対しても思いやりの深い性格、そして自ら戦線に出て戦い傷を受けても戦い続け軍全体の士気を上げる勇気が有りまさに明代の諸葛亮と言うに相応しい人物でしょう。よって三位に選びました。

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4位・范蠡(春秋時代、越の軍師)

5位・廉頗(戦国時代、趙の将軍)

6位・趙奢(戦国時代、趙の将軍)

7位・晏嬰(春秋時代、斉の宰相)

8位・呂蒙三国時代、呉の武将)

9位・申包胥(春秋時代、楚の政治家)

10位・李牧(戦国時代、趙の将軍)

 

 

国史偉人ランキング、如何でしたか?もしこれで中国史に興味を持っていただけたなら幸いです。気になった人物が居たら是非調べて見てください、他にもたくさんの逸話が有りとても面白いですよ!